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童貞について

あれほど捨てたかった童貞を捨てても結局童貞だったころと何も変わらない自分がいることに気づいた。


思春期のころの僕は、童貞を捨てたかった。
これは、何も僕に限ったことではなくあの頃の男の子たちの共通認識だった。


今の中高生たちも時代が変わり、ファッションや文化は変わっていてもおそらく童貞卒業へのあこがれというのは、
世代を超えた共通認識といっていいと思う。


童貞って結局なんなのだろうか。今日はそれを考えてみたい。


思春期の僕がどんな高校時代を過ごしていたかというと、端的に言うと非モテだった。


自分から女の子に対してどうアプローチをかけたらいいのか分からず好きな子の
デコログにひたすらYONDAを押すぐらいしかできなかった。(デコログという響きのエモさにびっくりしている)


ごくごくたまに、女の子の方からアプローチを受けることもあったが、
どのように対処していいか分からず、結局愛想をつかされるというのが常だった。


そんな僕が童貞を卒業したのは大学一年生の春だった。
自動車学校で出会った女の子と付き合うことになりその後、晴れて卒業を迎えた。


しかし、そんな僕がモテの側に回ることができていたのかというとそれは否である。
無事卒業することができた僕はそれでもまだ、童貞だった。


僕は童貞とは精神的な部分での非モテのことだと思う。
だから彼女がいようが何しようが、精神が変わらなければ、それは童貞なのである。


そもそも女の人と違い男にとって行為の前後で身体的な部分では変化はない。

であるならば、童貞が精神的な部分に寄与していることが間違いないだろう。

最近セカンド童貞という言葉があるらしい。

これは、童貞を一度卒業したものの、その後しばらくそういった行為に接点がない人のことを言うらしい。

なるほどいいえて妙だと思う。


童貞というものが精神性によるものだとしたら、一度卒業して自信をつけてモテの側に回ったとしても、
数年ブランクが空き、自信を失ってしまったらそれは、確かに童貞なのだろう。


僕の話に戻ると童貞を卒業してから数年間は非モテの状態が続いた。
まったくそういう行為と接点がなかったわけではないが、確かに精神は童貞だった。


その後、恋愛工学と2016年の初めごろ大学四年生の時期に出会った。
そしていろいろな人と経験を重ねていくうちに、自分の中の童貞がいなくなっていった。


そしてここ半年くらいは恋愛活動から離れてる毎日が続いている。

活動からひとたび離れてしまうとまた少しづつ自分の中の童貞が出てくる。

女の子にどう接していいかわからなくなるのだ。


長くなってしまったので、そろそろまとめると童貞とは精神的な非モテのことである。


つまり卒業することは不可能で、恋愛の最前線から離れたり、自分の中で男としての自信を失ったりすると
いつでも顔を出してくるものだということだ。


皆さんも是非自分の中の童貞とうまく付き合って、自分にとってもっとも幸せな結果をつかみとってほしい。